考えすぎ -253ページ目
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復学承認

大学から、復学承認の通知が来た。

休学する前の自分と、今の自分は違う。
でも、本当に違うのか、どう違うのか・・・。
これから、はっきり示されていく。

気合いだ。

サルトル

『西洋哲学史』 の、『5.5.サルトル』を書き上げました。
あとは、結びの文章、『終わりに』を書くだけ。

この結びが、僕にとっては一番重要です。
書き始めてから1年半近くになりますが、
その労力を、すべて水の泡にしなければいけないからです。


今の状態では、
普通の西洋哲学史とあまり変わりません。
というか、むしろ情報量が少なすぎて、
とても西洋哲学史と呼べる代物ではありません。

そもそも、僕の関心は、西洋哲学史にはないんです。
『始めに』で書いたように、
僕の関心は、「前提」にあります。


「前提」を知る、ということと、
その「前提」が「前提」でなくなる、ということは、
ほぼ同時に起こります。
その辺の事情について、『終わりに』で触れようと思っています。

最も大切なのは、
『終わりに』の書き手自身が持つ前提についてです。
このことに『終わりに』のなかで触れた時、
すべてが水の泡になると同時に、確かな何かが残ると思うのです。

あるいは、何も残らないと思うのです。

向心力を失わない限り、大丈夫。

3月9日の『ダイモニオンの声』 です。


自分は間違っているかもしれない。
大切なことをなおざりにしているかもしれない。
でも、どこかに、自分のすべての中心があって、
気がつくと、また、そこに戻っている。


「また戻ってきた」
という深い安堵感から聞こえてきたのが、この声でした。

向心力を失わない限り、大丈夫。

透明人間

透明人間は、どこからどこまでが透明人間なんだろう。



透明人間がリンゴを食べたら、
そのリンゴは、いつ透明になるんだろう。


それとも、リンゴはあくまでリンゴだから、
透明人間にはならないのだろうか。
もしそうだとすると、
透明人間に噛み砕かれ、
胃と腸で消化されて排出されるまで、
リンゴの変わり果ててゆくさまがはっきり見えるのだろうか。


・・・というか、
リンゴのなかの水分や栄養素が、
透明人間の全身にひろがっていくはずだ。
でも、そうすると、
透明人間は、だんだん透明ではなくなっていってしまう。




どこからどこまでが透明人間なのかがわからないように、
どこからどこまでが自分なのか、よくわからない。


自分の一部だったものが自分から出て行き、
自分に入ってきたものが自分の一部になっていく。
これは、何も物質に限ったことではない。
かつての自分の性格が、いつの間にか消えて、
そのころ不可解に感じていた他人の行動が、
いつの間にか今の自分の行動になっている。



いちばん不思議なのは、
考えれば考えるほど自分がわからなくなっていくのに、
普段は平気で「自分」という言葉を使い、
そのことについて特に何の疑問も持たずにいられることだ。
世間で、「自分」という言葉が通じないことは、まずない。



人間って器用だと思う。

なんて不思議なんだろう

生きることの不思議さ。


生命って、なんてうまくできているんだろう。
こんなに技術が進歩した今でも、
どんな精巧な機械も、生命の精巧さには及ばない。

とか、

人生って、なんてうまくできているんだろう。
自分のみっともない大失敗や、
誰にも言えないような苦しい経験が、
後でこんなに役に立つなんて、その時はまるで思ってもみないのに。

とか。

いろいろな意味で、生きることは不思議なことだらけ。
でも、
それは生きる上での不思議。


もっと不思議なのは、

なんで生きてるんだろう。
気づいたらなぜか、もう、生きてしまっているけど、
これは、そもそも何なんだろう。

ということ。

ただし、
宇宙誕生から人類誕生までの謎を知りたいわけではなく、
人生の意味や生きがいを探しているわけでもない(そういう時も多いけど・・・)。
仮に、そういう謎がわかっても、
仮に、確かな生きがいを手に入れることができても、

もう既に生きてしまっている、この状態は何だ?

という不思議さは変えられない。



この感じが鮮明になったのは、中学生の頃。

『ソフィーの世界』(ヨースタイン・ゴルデル著)

を読んだときだった。


大人は、世界に慣れっこになっているだけだ。
幼い子供にとっては、
何もかもが不思議だったはずだ。

大人が買い物しているのを見ても、
大人が宙に浮いているのを見ても、
子供にとって、その不思議さは、たいして変わらない。
それどころか、むしろ、
せっかく手に取ったものをわざわざ初対面の人に預け、
硬くて丸いものを取り出して何個かその人に渡してから、
預けたものをまた返してもらう、という買い物のほうがよっぽど不思議だろう。

でも、大人は、宙に浮いている人を見たら仰天する。
幼い子供にとっては、
それ以上に不思議なことが山ほどあるのに。


たとえ話は違うけど、大体、そういう内容だった。

これが、僕の考えこむ性格に、大きく拍車をかけた気がする。
幸か不幸か。


著者: ヨースタイン ゴルデル, Jostein Gaarder, 池田 香代子
タイトル: ソフィーの世界―哲学者からの不思議な手紙

来月から復学

休学期間も、今月で終わり。
現在、復学手続きを申請中。

いい社会勉強になりました。
苦しい経験もしました。
この経験を忘れずに、来月から再び自分の生きる道を歩む。
努力しなければならない。

『ダムの決壊』 の更新に充分な力を注ぎ込めるのは、おそらく今月まで。
その代わり、これからはもう少しちゃんと日記を書きます。
心機一転、ブログにしてみました。

『ダムの決壊』 のなかの『西洋哲学史』 は、今月中に書き上げます。
あと、4月以降は、主に、
『脳内会議』
『ダイモニオンの声』
を少しずつ更新していくようになると思います。
あと、この日記と。

よろしくお願いします。
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