なんて不思議なんだろう | 考えすぎ

なんて不思議なんだろう

生きることの不思議さ。


生命って、なんてうまくできているんだろう。
こんなに技術が進歩した今でも、
どんな精巧な機械も、生命の精巧さには及ばない。

とか、

人生って、なんてうまくできているんだろう。
自分のみっともない大失敗や、
誰にも言えないような苦しい経験が、
後でこんなに役に立つなんて、その時はまるで思ってもみないのに。

とか。

いろいろな意味で、生きることは不思議なことだらけ。
でも、
それは生きる上での不思議。


もっと不思議なのは、

なんで生きてるんだろう。
気づいたらなぜか、もう、生きてしまっているけど、
これは、そもそも何なんだろう。

ということ。

ただし、
宇宙誕生から人類誕生までの謎を知りたいわけではなく、
人生の意味や生きがいを探しているわけでもない(そういう時も多いけど・・・)。
仮に、そういう謎がわかっても、
仮に、確かな生きがいを手に入れることができても、

もう既に生きてしまっている、この状態は何だ?

という不思議さは変えられない。



この感じが鮮明になったのは、中学生の頃。

『ソフィーの世界』(ヨースタイン・ゴルデル著)

を読んだときだった。


大人は、世界に慣れっこになっているだけだ。
幼い子供にとっては、
何もかもが不思議だったはずだ。

大人が買い物しているのを見ても、
大人が宙に浮いているのを見ても、
子供にとって、その不思議さは、たいして変わらない。
それどころか、むしろ、
せっかく手に取ったものをわざわざ初対面の人に預け、
硬くて丸いものを取り出して何個かその人に渡してから、
預けたものをまた返してもらう、という買い物のほうがよっぽど不思議だろう。

でも、大人は、宙に浮いている人を見たら仰天する。
幼い子供にとっては、
それ以上に不思議なことが山ほどあるのに。


たとえ話は違うけど、大体、そういう内容だった。

これが、僕の考えこむ性格に、大きく拍車をかけた気がする。
幸か不幸か。


著者: ヨースタイン ゴルデル, Jostein Gaarder, 池田 香代子
タイトル: ソフィーの世界―哲学者からの不思議な手紙