透明人間 | 考えすぎ

透明人間

透明人間は、どこからどこまでが透明人間なんだろう。



透明人間がリンゴを食べたら、
そのリンゴは、いつ透明になるんだろう。


それとも、リンゴはあくまでリンゴだから、
透明人間にはならないのだろうか。
もしそうだとすると、
透明人間に噛み砕かれ、
胃と腸で消化されて排出されるまで、
リンゴの変わり果ててゆくさまがはっきり見えるのだろうか。


・・・というか、
リンゴのなかの水分や栄養素が、
透明人間の全身にひろがっていくはずだ。
でも、そうすると、
透明人間は、だんだん透明ではなくなっていってしまう。




どこからどこまでが透明人間なのかがわからないように、
どこからどこまでが自分なのか、よくわからない。


自分の一部だったものが自分から出て行き、
自分に入ってきたものが自分の一部になっていく。
これは、何も物質に限ったことではない。
かつての自分の性格が、いつの間にか消えて、
そのころ不可解に感じていた他人の行動が、
いつの間にか今の自分の行動になっている。



いちばん不思議なのは、
考えれば考えるほど自分がわからなくなっていくのに、
普段は平気で「自分」という言葉を使い、
そのことについて特に何の疑問も持たずにいられることだ。
世間で、「自分」という言葉が通じないことは、まずない。



人間って器用だと思う。