一人称の主語が表す範囲 | 考えすぎ

一人称の主語が表す範囲

一人称の主語が表す範囲は、思っているほど自明ではない。

キリスト教の文脈で言う汎神論者のように、
一人称の主語が「宇宙全体」を表している場合もあれば、
多くの環境活動家が訴えるように「地球全体」を表している場合もある。

一人称が、単数形か複数形かも捉えかたによって異なる。
地球全体を「ワンネス」として捉える人もいれば、
異なる無数の魂の集合体としての「私たち」と捉えている人もいる。

同じ一人の人間の中でも、人格が一人だけとは限らない。
むしろ、少なからず複数の人格が一人の身体を共有していることのほうが普通だと思う。
「一つの身体に一つの人格が一貫する」ことを求めるのは、
例えば投票制度における一人一票の原則を成り立たせる等の都合のために必要な
社会的な約束事に過ぎない。
(ここで「過ぎない」と表現しているからといって、これを軽んじるつもりは少しもないし社会的に必要なことだと思っているし社会生活において従うべき約束事だとも感じている。)

一人称の主語が表す範囲は、思っているほど自明ではない。