一個人が人類全体の未来を背負わなければならない謂れはない。 | 考えすぎ

一個人が人類全体の未来を背負わなければならない謂れはない。

個の多様性を踏まえて冷静に考えてみれば、
高齢のかたに対して
「未来の子どもたちのことを考えて欲しい」
と迫るのは、少し酷なことかもしれない。

死期が近付けば、自身の終活を優先するのは自然な流れ。
当然ながら、一個人が人類全体の未来を背負わなければならない謂れもない。
その人が、表立って子どもの権利を無碍にするような言動をしているのなら批難されても仕方ない、
と思うが、そうでないのなら、
高齢者は高齢者で自身の人生を総括したいのが普通の人情だろう、とも思う。

世代間のギャップが生まれる源泉は、そもそも、世代間のギャップという意識そのもの
なのかもしれない。
「世代間のギャップ」という大枠に落とし込んで思考停止するよりも、
無理のない範囲内で、自分にできることをしていくことのほうが健全で確実な歩みだ、
と最近、気が付いた。