「経験の力」 | 考えすぎ

「経験の力」

この記事の日付は、
コラボレーション企画の都合上、製作完了日(3月2日)になっておりますが、
実際には2月24日に書いた記事です。ご了承ください。



最近、しばらく体調を崩していなかったのに、
この一週間、月曜の朝から38度以上の熱が出て、寝込んでいました。


病院で薬を処方してもらったのに、三日三晩、熱も下がらず。
インフルエンザではなかったそうですが、じわじわと体力を消耗しました。
数ヶ月ぶりのダウン。
健康であることの大切さを、改めて実感させられました。


・・・と、体調を崩すたびに、似たような記事を書いている気がします。
「いい加減、健康が大事なことくらい、わかれよ」
と突っ込みたくなりますが、
普段は、ちゃんとわかっているつもりなんです。
健康こそ宝だと思っています。
でも、いざ体調を崩してみると、実感させられるんです。
「わかっていなかった・・・」と。


おととい(金曜日)、午後から出勤しました。
机の上には、仕事がどっさり。
でも、自分の目に映るその光景が、いつもと違っていました。
「元気になって、働けることが、ありがたい」
今まで当たり前のように働いていた自分が、
ひどく傲慢だったように思え、働くことに対して以前よりも謙虚な気持ちになりました。


自分の意志の力だけではどうにもならない、「経験の力」です。




どんなに慎重に、あるいは大胆に、意志や思考の力をめぐらせても、
実際に経験して得た実感には、遠く及びません。
むしろ、経験して得た実感を頭の中で整理するために、
意志や思考がコソコソと働いているのかもしれません。


もっとも、たまに、
自分が積んできた数々の経験を振りかざして、
「経験の裏づけがあって言っているのだから正しい」
と断じてそれを誰かに教えようとする人がいますが、これは間違っていると思います。


なぜなら、
経験の力は、自分で実際に経験してみて初めて得られるものであり、
他人が経験して得たものを、その人の言葉(すなわち、その人の意志や思考)で教えられても、
到底得られるものではないからです。
むしろ、誰かが事前に言葉で教えてしまうと、
わかったつもりにさせてしまう分、かえって本人の経験そのものを遅らせてしまいかねません。


どうしても教えたければ、
教えたいことについては何も言わずに、自分がしてきたのと似たような経験をさせたほうが、まだましです。
ただし、それにも限度があります。
似たような経験をさせることはできても、まったく同じ経験をさせることは不可能だからです。
仮に同じような経験でも、その経験から得る実感は人それぞれです。
その、人それぞれの実感が、その人の心の中で働く意志や思考の基準となっていくわけです。


ちょうど、画家や作曲家が、作品を生み出す方法をそのまま弟子に伝えられないように、
自分が、経験から学んだことをそのまま誰かに伝えることは不可能に近いのです。
だから、
経験から学んだことをそのまま誰かに伝えようとするのではなく、
経験から学んだことを現実に活かすことが大事です。
・・・ひょっとしたら、それを見た別の誰かが、そこに何かを感じ、新たな経験を得ていくかもしれません。


「経験の力」の連鎖は、このようにして間接的にじわじわと広がっていきます。




僕も、以前に比べると風邪をひかなくなりました。
今回のことも反省しつつ、
なるべく病気にならないように、よりいっそう気をつけようと思います。
季節柄、空気が乾燥していますので、
みなさまも、くれぐれもお体にお気をつけください。




この記事を読んで、Angelaさんはこんな記事 を書かれています。
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