『寓話 占い師と青年 ~ナークトカムの悩み編~』 | 考えすぎ

『寓話 占い師と青年 ~ナークトカムの悩み編~』

初めまして。
ナークトカムと申します。


「占いポスト」と書いてありましたが、
このポストは、誰でも利用できるのでしょうか?
それとも、何か登録のようなものが必要なのでしょうか?


実は、大きな悩みがあって、それについて占って欲しいのです。
が、そのために必要な手続きがよくわからなかったので、
この手紙を投函します。


もし無礼でしたら、ごめんなさい。
2、3日中に、また見に来ます。


――――――――――


ナークトカムへ



「占いポスト」は選ばれた者しか気がつかないので
神秘のポストと呼ばれている。


君はこのポストの存在に気がついた。
だからもう既に君は『選ばれし者』なのだ。


君の悩みを手紙に託して
ここへ投函すればいい。


君へのメッセージはどこからか私の元へとやってくる。
私はそれを君に伝える。


気が向いた時にまたここに来るがいい。


『気が向いた時』
それが返信の合図だ。




「占いポスト」占い師 ジョシュア


――――――――――


驚いた・・・。
試しに手紙を書いてみただけなのに。
いきなり、「あなたは選ばれし者だ」なんて返事が来るとは思わなかった。


ジョシュアさん・・・か。
この人は、投函してきた人全員にこんな返事をしているのかもしれないな。
「あなたは選ばれし者だ」
と言われれば、確かに悪い気はしないから。


・・・面と向かって言われたら、少し気持ち悪いけど。
まあ、手紙をやりとりするだけなら怖がることもない。
せっかくだから、占ってもらうことにしよう。


――――――――――


ジョシュアさんへ


ナークトカムです。
ありがとうございます。
選ばれし者だ、と急に言われましても実感が湧きませんが・・・。
でも、占ってくださるということなので、お願いします。


僕が今、一番悩んでいることは、
「自分の役割がわからない」
ということです。
もちろん、
親の子としての役目や、周囲から期待されている事柄は、それなりにわかっているつもりです。
でも、その役目を果たすことができず、期待にも応えることができない、ひどく不甲斐ない自分がいます。
この状況を克服しようとしても、いつも失敗ばかりで・・・。


周りの人に迷惑ばかりかけていて、ただ、「お荷物」として生かされている。
こんな自分は何のために生きているのだろう、と考えてしまうんです。


それに僕には、つまらない自尊心や虚栄心があります。
何もできないくせに、偉そうに「自分の価値」を主張してしまうことがよくあるんです。
だから、つましく懸命に生きている豚や魚のほうが、僕なんかよりもよっぽど価値があるように思えます。
それなのに、僕は豚や魚を食べ、その貴重な命を犠牲にして生きています。


僕は、生きたい。
でも、そこまでして生きる理由がわからない。
・・・僕は、一体どうすればいいのでしょうか?


よろしくお願いします。


――――――――――


ナークトカムへ




人間がこの世に存在してからずっと
誰かしらそのことについて思いを巡らし
さまざまな意見が取り交わされているようだが・・・


君に命が与えられている間は
「君の存在そのもの」が役割であり理由なんだよ。


それ以外に何もない。



ただ・・・人は実感を欲しがるものなんだ。


肉体があるから。
感情があるから。
それらの機能を存分に発揮したいという欲望を備えている。



君が知りたいのは実感を得るための方法じゃないのかな?



君の血となり肉となる豚や魚の方が君より価値があるとかないとか
それは君が決める事ではないだろう。


この世のあらゆる命は存在そのものに価値がある。
そして命は消え、でも次の瞬間にまた別の命が生まれている。


宇宙というのは死と再生という繰り返しの中で
絶妙なバランスを保っているんだ。




ジョシュア


――――――――――


ナークトカムです。
お返事ありがとうございました。



実感、欲しいです。


確かに僕は、今、
自分の存在そのものの価値を実感できておりません。
もし、本当にその価値があって、そのことを深く実感できるのであれば、
ぜひ実感したいです。


ところで、一つ、質問があります。
「僕の存在そのものが生きる役割であり理由である」
ということは、つまり、
たとえ野垂れ死んだとしてもそれが僕の役割だ、
ということですか?


もしそうだとしても、
今の僕には、なかなかそこまでは覚悟できそうにありません。
実は、
「強さが欲しい」
ということも、今の僕にとっては大きな悩みなんです。


――――――――――


ナークトカム



存在そのものの価値を実感するというのは
自分の体験以外にはない。


自分の腕と足を動かして
「これをせずにはいられない」という行為しか
自分への実感にはならないのだ。


君にとっての、その「行為」とは何だろう?




野垂れ死・・・


死に方に優劣はあるのだろうか?


どんな死に方が素晴らしく
どんな死に方が愚かなのだろうか。


どんな死に方をしようとも
生きている間は人は精一杯生きていたはずだ。


それだけで人は生きた価値がある。


そして
残された者に多大な影響を与え死んでいく。
それが人の生きる意味でもあるのだ。




「強さ」について教えて欲しい。
君の欲しい「強さ」とは何を指す?




ジョシュア


――――――――――


うーん・・・。


「宇宙というのは死と再生という繰り返しの中で絶妙なバランスを保っている」

確かにその通りなのだろう。
現に、この宇宙の歴史は、
古いものが滅び、新しいものが生まれ、・・・ずっと、その繰り返しだ。


だから、宇宙全体から見れば、
「人間の死に方に優劣などない」
ということも、その通りなのだろうけれども・・・。


ジョシュアさんは、
今まさに絶望のなかで死に果てようとしている人に対しても、
そんな冷たいことが言えるのだろうか?
それではまるで、患者の心境を顧みずに淡々と病状を説明する医者のようだ。
真実を語っているのかもしれないが、相手の身になって考えていないような気がする。


占い師って、そういうものなのかな。


・・・って、こんな偉そうなこと、
相談に乗ってもらっている立場の僕には、とても言えないな。
まずは、質問されたことに答えなきゃ。


――――――――――


ジョシュアさん


いつもありがとうございます。
ナークトカムです。



考えずにいられないことなら、たくさんあります。
でも、身体を動かしてせずにいられないこととなると、・・・あまりないです。
あくびをした時、伸びをする、とか、
トイレに行きたくなった時に走る、とか、
そういったことならありますが・・・。


自分の存在価値を実感するためには、
何か、身体を動かすような趣味を持ったほうがいい、ということでしょうか?



それから、
僕の欲しい「強さ」とは、自信や生命力のことです。
心の強さが自信であり、身体の強さが生命力だと思うので。


もっと僕に強さがあれば、
どんな生き方であっても、そこに生きる意味を見出せるかもしれません。
でも、それほど強くない僕にとっては、
ジョシュアさんがおっしゃるような、自分の人生をすべて引き受けて肯定する、
ということはなかなか難しいです。


――――――――――


ナークトカム




君にとっての「存在そのものの価値を実感する」ことは
「考えること」なのかもしれない。


だから
「君が考えていること」を「君の身体を使って表現すること」で
君は君の存在価値を実感できるはずなのだ。


その具体的な方法についても
頭で「考え」そして身体で「実行」する。




心の強さと身体の強さは分裂しているわけではない。


心が強ければ身体は強くなる。
身体が強くなれば心も強くなる。


君の欲しい「強さ」は
身体を使った表現ができるようになった時に手に入れられるだろう。




君が生きる意味を見い出したなら
君の人生のすべてを引き受けて肯定することができるはずだ。



なぜなら、生きるとは「日々を肯定」していくこと、だから。





ジョシュア


――――――――――


「考えていること」を身体を使って表現する、か・・・。


確かに、小説家や画家は、
そうやって自分の存在価値を実感しているのかもしれない。
でも、そんな風に表現できるようになるまでが、とても苦しい。
一生なれないかもしれないのに・・・。


あと、なんだっけ。
具体的な方法も自分で考えて実行しなさい、・・・か。
占いって、もっと具体的な答えを出してくれるものだと思っていたけど、
この人は違うらしい。
なんだか、占ってもらっている感じがしないな。
どちらかと言うと、生き方についての説教を聞かされているような気分だ。


このジョシュアさんという人は、
いったい、何のために、こんなことをしてくれているのだろう・・・?


――――――――――


ジョシュアさん


こんばんは。
ナークトカムです。


「僕が考え込んでしまうこと」を、身体を使って表現できるようになったら、
僕は、自分の存在価値を実感できるようになる。
そして、そのための具体的な方法を考えるのも僕なのだ、
ということですね。


少し、考えてみます・・・。



一つ、質問してもいいですか?

ジョシュアさんは、
何のために、この「占いポスト」という活動をされているのですか。
ジョシュアさんも、この活動によってご自身の存在価値を実感していらっしゃる、
ということでしょうか。


どうしても疑問に思ったもので。
見たところ、無料でなさっているようですし・・・。


――――――――――


ナークトカム




存在価値を実感できる具体的な方法の『芽』は
普段の日常の中に潜んでいるものだから


注意深く日々の自分の行動を観察していくことで
その『芽』を見つけ出し大きく育てる事ができるだろう。



君にひとつ大事なことを教えよう。




言葉を過信してはいけない。
言葉で語るよりも「生きる姿」でしか伝わらない事がある。




これは君の私の活動に対する疑問の答え、とも言える。




ジョシュア


――――――――――


やっぱり、具体的な答えは言わないな。この人は。
あくまでも僕自身に考えさせようとしているみたいだ。
・・・どうしてだろう?


もし、これが有料だったら、
「適当に誤魔化して金をむしり取ろうって魂胆だな」
と思うところだけど、
無料だし、単に暇つぶしをしているような感じでもない。


僕が、答えを押し付けられても納得しない性格だ、
ということをジョシュアさんはもう見抜いたのかな?
相手が僕じゃなかったら、具体的な答えを返したのだろうか?


いずれにしても、
やたらと答えを押し付けようとしてくる人よりは信用できそうだ。


言葉を過信してはいけない、か。
・・・よし。考えてやろうじゃないか。
そこまで「自力で考えろ」と言うのなら。


――――――――――


ジョシュアさん


ナークトカムです。
あれから、少し考えてみました。


僕は、今、考えたことをこうして書いています。
ジョシュアさんに、なるべく伝わるように、言葉を選びながら。
・・・そして、ジョシュアさんから返事が来ると、
僕は、その返事の意味をいろいろと考えます。


実は、この時間が、僕にとっては思いのほか充実しているのです。
ジョシュアさんの言葉の意味を考えているうちに、
いろいろな思いが湧いてきて、
気がつけば、初めに相談していた悩みを忘れてしまうこともしばしばでした。


日々の自分の行動を観察してみたら、
他でもない、ジョシュアさんと手紙のやりとりをしている自分に行き着きました。
これは、存在価値を実感できる具体的な方法の『芽』と言えるでしょうか?


それから、
「言葉で語るよりも『生きる姿』でしか伝わらない事がある」
ということ、
そしてそれがジョシュアさんの活動に対する僕の疑問の答えだ、
ということは、つまり、
ジョシュアさんの活動は、無料でやっていることを含めて、その活動そのもののあり方に意味がある、
ということですか?


言葉を過信してはいけない、と言われた傍からこうして言葉で質問してしまうのは無粋かもしれませんが・・・
何でも知りたがる僕の性格は、なかなか直らないもので。


――――――――――


ナークトカム




君の存在価値を実感できる具体的な方法の『芽』は
「この手紙のやりとり」と、言えるだろう。



この手紙のやりとり。
それはつまり・・・


君が興味を持っている事を考え悩み探求し
それを言葉で表現していること。


そしてそれを受け止める読み手が存在していること。



この芽をこれから君の力で発展させていけば
君は自分の存在価値をそこに見い出すことができるだろう。


表現をひとつ終える度に自分に対する自信を獲得し
自信をひとつ獲得する度に生命力も増していくだろう。





「占いポスト」は私が生きている間は存在するが
私がこの世から去れば消滅する。


「占いポスト」は私の生命そのものなのだ。





ジョシュア


――――――――――


そうか・・・。
占い師と言っても、ジョシュアさんも人間だもんな。


「占いポスト」を利用する人は、きっと僕以外にもいて、
ジョシュアさんも、僕以外の人とは、まったく違うやりとりをしているのだろう。
でも、そうした活動のすべてが、
ジョシュアさんにとっての生き甲斐であり、人生そのものだったんだ。


・・・ということは、つまり僕は、
もう既に、ジョシュアさんの生き甲斐の一部に貢献していた、ってことか。
そうか。
僕の存在価値は、こんなところにも転がっていた。



自分の存在価値を疑い、自信を無くし、悩んで、
そのことでジョシュアさんに相談してみた。
これは、確かに紛れもなく僕の行為だ。
そして、それがそのまま、僕の存在価値にもつながっていた。


なるほど。
ジョシュアさんの言った通りになってしまった・・・。
まさか、こんなところで繋がってくるとは思わなかったけど。




もう、僕は、このくらいにしておこう。
僕のようなひねくれ者なんかよりも、
もっと純粋に「占いポスト」を必要としている人がたくさんいるだろうから。


僕は、きっと、これからも悩み続ける。
そして、もし万が一、
「自分が生きる意味」について納得のいく答えが出せたら、
その時は、ジョシュアさんにも報告させてもらおう。
次に「占いポスト」を利用させてもらうのは、たぶんその時だ。


――――――――――


ああ、僕がこうして悩んでいるというそのこと自体が、
僕の存在価値の『芽』だったんですね。


実を言うと、僕は、
「占い師」という仕事を少し疑っていました。
しかも、純粋な疑いではなくて、かなり否定的な疑いでした。
今、初めて白状しますが。すみません。


まさか、
こうして手紙のやりとりをしていること自体に大きな意味がある、
とは思ってもいませんでした。
でも、言われてみると、その通りでした。
最近、僕の日常で何が変わったかといえば、
「占いポスト」に通うようになったことなんですよね・・・。
僕の中でも、大きく何かが変わったような気がします。


僕は、これからも悩みながら生きていきます。
それで、いいんですね。


「占いポスト」を独占してしまっては悪いので、
今回は、これで最後にします。


ありがとうございました。
「占いポスト」、これからも続けてください。




ナークトカム


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この記事は、
『ブロガーは思う』 の編集員でもあるAngelaさん と共同制作させていただいた、
『寓話 占い師と青年』
の「青年」編です。


Angelaさんが占い師ジョシュアの役を、
僕が青年ナークトカムの役を、
それぞれ受け持ち、その役になりきりながら手紙のやりとりを行なう、
という方法で書き上げました。
(Angelaさんは、実際に占いを専門になさっています → 『Angela lala's room』


役になりきる、と言っても、本人の性格が色濃く反映されているとは思いますが(笑)。




さて、この「青年」編は、
青年ナークトカムから見た、物語の全貌です。
でも、ひょっとすると、占い師ジョシュアにとっては、全然違う物語だったのかもしれません。


占い師ジョシュアにとって、この物語がどのようなものであったのか。
僕は、まだ知りません。
「やりとりした手紙そのもの」という共通の部分以外は、
Angelaさんも僕も、お互いにまだ何も知らないのです。


それを知るのは、記事を公開した時。
だから、公開された記事を一番わくわくしながら読むのは、
たぶんAngelaさんと僕自身でしょう。




いよいよ、公開する時刻になりました。
それでは、「占い師」編がどのような物語なのか、さっそく読んでみましょう。
→ 『寓話 占い師と青年 ~ジョシュアの導き編~』